ヤバい瞑想

最近、瞑想がもてはやされている(らしい)。すなおさんも瞑想のブログはよく読まれると言っていた。

たまに開くFacebookのタイムラインにも「あなたも3日で瞑想のインストラクターになれる!」みたいな謳い文句の広告が流れる。おいおいそんな瞑想って単純なのかよ!というツッコミはさておき、とにかくそういった時代のようだ。

そして最近ふと目に止まったツイートがあった。「マインドフルネスは有害な行動に結びつくか?」という研究資料が紹介されてるツイートだった。

なんだか面白そうだなと思ってサラッと読んでみたが、倫理的な側面を省いたマインドフルネス(瞑想)は、こんな危険性を孕んでいるぞ!という警告を科学的に検証していて、とても良い研究だなと思った。

【その資料に書いてあったこと】

マインドフルネスは,現在の体験に意図的に価値判断せずに、注意を向けるスキルを意味する。マインドフルネスは伝統仏教の実践法にルーツがあるもの、現代のマインドフルネスは、仏教から離れ一人歩きしていることが指摘されている。

マインドフルネスの流通先は、企業や医療や教育分野まで行き渡る。その目的に合わせたパッケージ化は、元々の仏教にある倫理的な側面から切り離され「ヤバい瞑想」化してるんじゃないか説が立っているという。

どういうことか?

本来の伝統仏教で行われているような瞑想は、倫理的な部分を重要視し、現在の体験に注意を向ける修行(マインドフルネス)をすることで、自分の健全さと不健全さをしっかりと見分け、自他に害を及ぼす思考や行動に陥ることを防ぎ、自他を思いやる思考や行動を促進するため行われるための修行のひとつ。とある。(ここ超重要!)

なので、本来マインドフルネスは、倫理的な側面を伴って実践されることで、幸福を得るための有益な効果や結果が期待されるわけだ。

しかし、現代のマインドフルネスユーザーは、仏教修行の根底にあったはずの倫理観を排除しているという。

その結果として、マインドフルネスのウェルビーイングへの効果が減る可能性があるというが、当たり前だ。

さらに、マインドフルネスでは感情に反応したり動揺しない精神のコントロールが磨かれていくので、スナイパーやテロリスのスキルアップに利用されたり、人を殺すことに何も思わないサイコパス野郎が生産されてしまう可能性があると指摘していて、実際にそのような殺人訓練をする場面で使われているという証言があるようだ。

これは大きな話での警告で、私達の生活環境でピンとはこないが、殺人や犯罪とまではいかなくても、日常生活で他者を攻撃するためにマインドフルネスが影響を及ぼすことがあるという。

例えば,自分の思い通りに他者を動かすように攻撃的で支配的なコミニケーションをとったり、利己的な目的に進むため、攻撃の妨げになるような相手を思いやる気持ちが抑え込まれ、他人を傷つける行動を起こしやすくなったりするという。

パッケージ化されたマインドフルネスでは、ストレスマネジメントや仕事に向けた集中力の向上など、有益性ばかりが謳われるが、思いやりが伴わなければ有害な行動と結び付きかねないと、資料ではツッコミを入れている。

どう考えてもウェルビーイングから遠ざかる。

そしてこの仮説をもとに200名くらいの人を集めて実験をしたようだ。結果は、マインドフルネスと有害な行動の完全な因果関係を結ぶものではないものの、その傾向と可能性は示された。という。

簡単に言うと、マインドフルネス“だけ”や、瞑想“だけ”をするのは攻撃性を高める可能性があって、場合によっちゃ危ない奴になっちゃうよ〜って話だった。

【危ない奴にならないために】

じゃあ、そのマインドフルネスや瞑想から切り離してはいけない倫理的な側面とは何か。それがとにかく肝心だ。

僕が見聞きする中で、その倫理や道徳というのは、マインドフルネスでは“生きとし生けるものへの思いやり”と聞いたことがあるし、仏教だったら“十善戒”や“八正道”となると思う。

ヨーガでは、なんといってもアシュターンガ・ヨーガの最初の“ヤマ(社会的な行い)”に倫理的な側面があり、その中でも“アヒンサ(非暴力性)”が極めて重要だということになる。

現在「ヨーガ」は、特にアーサナだけが切り売りされてパッケージ化され「ヨガ」として流通しているが、不幸中の幸いか、ただの美容と健康体操に落ちているだけで、今のところサイコパス野郎を生むことはなさそうだ。

しかし今後は、以前のブログにも書いたように「ヨーガ」と「ヨガ」は分類され、世間の認識は変わり、おそらくヨーガも瞑想をするための技術として知られていく中で、絶対に瞑想のスキルだけを切り売りしてはいけないということがはっきりとわかる。

知ってる人も多いがヨーガでは、瞑想をしていくために8つの階梯(アシュターンガ・ヨーガ)が敷かれている。その中でも最初のヤマは絶対のお約束とされていて、この資料の警告は、ヨーガ実践に置き換えると、必ず実践者はヤマと共にあるべきだ!という話になる。(アシュターンガ・ヨーガについて詳しく知りたい方は、コチラの講座がおすすめ)

【もうひとつ思ったこと】

自分の中にもサイコパスな要素は孕んでいて、年齢を重ねるたびに減ってはいるが、攻撃的な衝動が思わず出たり、うまく抑えることができたりして生きている。だからこそこういう警告は、自分自身にしっかりと釘を刺しておきたい。

そしてこの資料から得れるもうひとつの教訓は、例えば、原子力やAIなどの多くの優れた技術やスキルには、必ず利用するものが何者か?その利用の動機はどんなものか?が運命を分けるカギとなる。最近よくAIに人間が支配されるなんていう話を聞くが、AIをベストパートナーにするか支配者にするかも人間の利用法の選択だと思う。

全ての優れた技術やスキルは、悪者が使うと良いことはない。そんなことは小学生でも分かる。これは瞑想やマインドフルネス、そしてヨーガも悪者が使ってはいけない領域に入るということなのかもしれない。ていうか、昔からちゃんとした師匠やグルに教わるべき技術だったので、確実にそういうことなんだろうなと、改めて思ったりした。

現在、優れた技術やスキルや考え方は誰でも簡単に手に入る情報の時代だ。そんな中でいまだに競争を好むような人間が大多数を占めていれば、瞑想もマインドフルネスも悪用する人は増えると思う。

このような社会の状況って「いい人は損をする」みたいな事を言われ続けてきている相対価値ベースの時代で止まっている感じがしてなんだか古臭い。

しかも、瞑想やマインドフルネスやヨーガのような精神的な修練の先にある幸福は、ひとつ自分の絶対価値の発見でもあるはずなのに。

まあ良くも悪くも、瞑想やマインドフルネスがもてはやされているなら、抱き合わせで倫理的な側面もバッチリ理解してもらって、多くの人が幸せになれる時代になるように瞑想やマインドフルネスやヨーガのスキルが広がるといいな〜と願っている。

また、こういう願いを口にすると、そんなのは綺麗事だ!とか、歴史を学べばそんなことは起きない!誰もが力を持つと欲と権力に溺れるものさ!とかいう人がいるけど、僕は今が時代の最先端なんだから、歴史から学んだ人間のアホな部分なんてさっさと終わらせて、さらに進化した人類になるべきだと思っている。変化のきっかけは、今を生きている自分達が握っているのだから。

この資料では、倫理とは「行為の正しさや間違い、行為の動機や目的の良し悪しについての首尾一貫した価値基準」 という意味であり〜倫理は、人々がお互いをどのように扱うことが良いかという規範を意味しており、複雑な社会集団の中で生活する際に適切な行動を選択し実行することに寄与する」としている。

そして最後に、重要なことだったので釘を刺しておくけど、本来の伝統仏教で行われているような瞑想は、倫理的な部分を重要視し、現在の体験 に注意を向ける修行(マインドフルネス)をすることで、自分の健全さと不健全さをしっかりと見分け、自他に害を及ぼす思考や行動に陥ることを防ぎ、自他を思いやる思考や行動を促進するため行われるための修行のひとつ。とある。

おわり/さとう

資料リンク

 

関連記事

最近の記事

PAGE TOP