能動的:受動的 のパーセンテージ

能動30:受動70
今ではコレくらいの割合か。いや、もうちょいいって能動20:受動80くらいかもしれない、、、。
思えばひとりヨーガを始めた頃の数年は、アーサナばかりを練習していて、能動98受動2くらいだったかな。
途中、練習法を変え余計な呼吸を外して、プラーナヤーマを多く取り入れるようになってこの比率は受動側へと変わってきた気がする。
いや、その日の集中具合によってもこの数値はだいぶ変わる。いやいや、もしかするとアーサナ、プラーナーヤーマ、プラティヤーハーラ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディと、その実習のプロセスの間に、このパーセンテージはだんだんと受動側へ移行していくのではないではないか?
「今日はいい練習ができた」なんて日は受動レベルが高く、感じたことや気づいた事が多い。そんな日は瞑想へとまさにシームレスに入っていて、ピーク時には能動0受動100になっていたり?
このように、仮に能動と受動をパーセンテージで分けてみると、見えないひとつの意識の変容がほんの少し見えてくる。
ヨーガ実習は、自らで自らをコントロールして動作しているけれども、アウェアネストレーニングとも言われるだけにかなり受動的でなくてはならない。
実際にヨーガをしたことない人にはなんだか意味不明な話に聞こえるかもしれないが、伝統的なヨーガをされたことがある方は、すっと理解できると思う。
いや、ヨーガだけには限らないか。身体を使うさまざまな文化において同じことが言えそうだ。むしろ身体に感覚がある以上、生きていれば能動と受動のバランスは全てに当てはまる。
上達の鍵
僕は梵字を習っているが、思えば筆を墨につけ、筆先を馴らし、薄い半紙に文字を書く、筆先から伝わる筆圧の感触を実感しながら…あ、強すぎた、弱すぎた。とか。動作しながら受動センサーが働いている。
波乗りでも、興奮しすぎて乗ることに(動作ばかりに)夢中になりすぎると、今何をしたのか全く覚えてないことがある。残念ながら、そんな時には興奮だけしていて一切の気づきが無い。
逆に受動レベルが高い時の波乗りは、波の力を足の裏で感じ、ボードの浮力を感じ、レールが水面へ食い込んでいる感覚やフィンのしなりまで感じ取れる。
極端に言ってしまうと、このように動作に伴った感触がわからない人には、その道の上達はないんじゃないかとさえ思えてくる。

もちろんヨーガも実際に動作をするのだが、リラックスが前提、力は込めず、頑張りは禁物、意識は動きに対して受け身であることが重要。いかに受動的パーセンテージを自然と上げていくかが数々の身体技法のコツなんじゃないかと思う。
そうすることで内部感覚への感受性が拡張され、今まで気が付かなかった身体感覚に手が届く。そしてその気づきが動作に変化をもたらして行く。
それは前回のブログで書いた言語化できない暗黙知が、確かな実感で、経験された時にとても喜ばしい。
むしろ身体を使っている以上、感じる事や気づくことが醍醐味で、何事も極めるためのその道のりは、どの道も途方もなく、永い。だから面白い。
人間、カラダで生きてる以上やはりその感覚を、日々その受動センサーを研ぎ澄ませておきたいなと思うばかりです。
先日、海に浮かびながらふとこんなことを考えていました。

おわり/さとう(佐藤昭英)