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ヨーガと内向性

内向的だと生きづらい世の中

世の中では、目に見えてわかりやすい外向性(積極的、活動的、活発な振る舞い、社交的)は、価値があるものとして、賞賛されます。

確かにとても大切な要素だと思います。 それと同様に、内向性(物静か、穏やか、繊細、孤独な振る舞い)も尊く、価値があると僕は信じています どちらが優れているということではなく、外向性も内向性も自分を構成する大切な要素です。 しかし内向性の良さは目には見えず、人に気づかれにくいもの。

そもそも世の中では、内向性にあまり価値が、置かれていないように僕は感じます。 たとえば、物静か→暗い、穏やか→気弱、繊細→傷つきやすい、配慮→気にしすぎ、優しい→偽善、内向的→消極的といった歪んだ解釈に置き換えられてしまい、日常生活では内向性がデメリットとなる場面も少なくないのではないでしょうか?僕にはそのような経験が多々あります。

自分が身を置く場所や人の感性しだいで、内向性は美徳にもなり、無価値にもなりうると思います。

内向性が尊重されていない社会では、それが美徳ではなく弱点、劣等となり、否定されたり、攻撃されるケースが少なくありません。パワハラ、モラハラ、マウンティングによって、内向性は容易に傷つけられ、壊されてしまいます。内向性は優しくて、繊細で、脆いものです。 そのため内向性が強い人は、〝自分には価値がない〟〝自分は面白くない人間だ〟などと、間違ったセルフイメージを、強化してしまうケースもあるように思います。

僕はどちらかというと内向性が強い人間だと思います。

でも自分の内向性を人にさらすと、デメリットを被むることが多かったので、自分の内向性が好きにはなれませんでした。 外向的な人間になろうと努めてみましたが、なかなか上手くいかず、疲れました。自分が完全に外向的に立ち振る舞えないことに葛藤や苦悩がありました。かつての自分は、内向的であることは、暗くて弱くてサエない性質だから、改善すべきものだと思い込んでいたのです。

でもヨーガをはじめて、大きく変わりました。今では自分の内向性を愛するようになりました。なぜなら日常ではデメリットだと思っていた内向性がヨーガの実習のなかで最大限に生かされるからです。これには、滅茶苦茶に助けられたと同時に、滅茶苦茶に面白いと思いました。

内向性が活かされるヨーガの練習

たとえば「繊細さ」

日常では色々と気になりすぎて、自分でも嫌になる要素でした。 自分の繊細な感覚を向ける対象を〝外の世界〟へ向けると、余計なことを気になりすぎたり、悩んだり、不安や心配、疲労することが多々ありました。でもヨーガでは、その繊細さを〝自分のなか〟へ向けていくと、一気に面白さに様変わりしました。

それは自分のなかに起こる微細な事象を、〝感じる力〟〝気づく力〟〝観察する力〟になる。これはヨーガ実習において、根幹をなす重要な力なのです。 繊細な感性をもっていると、ヨーガでちょっと体を動かすだけでも、物凄い色々なことが敏感に感じ取れて、面白くてしょうがない。

そのように実習中、体に起こる微細な事象を、1時間くらい感じたり、観察していると、だんだんと体が変わり、呼吸が変わり、心が変わっていくことが、はっきりと認識できるようになってくるのです。

いつも同じようなことをやっているハズなのに、実習中の感覚も、経験も少しづつ変わってくる。自分の心身も少しづつ変わってくる。 毎回、ヨーガをするたびに新しい発見がある。日常生活もポジティブに塗り替えられる。それが面白い。その面白さを掴むためには〝繊細な感覚〟が物を言うのです。

その繊細さがヨーガを深める

そしてその〝繊細な感覚〟は、プラーナヤーマ(呼吸法)、瞑想の実習に必要不可欠なものになります。

プラーナヤーマと瞑想は、自律神経や脳や心の領域に大きく働きかける技術で、そこにアプローチし変容させることがヨーガの特色。なのでアーサナ(ヨーガのポーズ)だけではなく、プラーナヤーマ、瞑想の実習もしっかり出来ないと
ヨーガをする意味もあまりないわけです。

体を対象とするアーサナ(ヨーガのポーズ)の実習は、刺激がわかりやすく入るので、感じやすいものです。心地よさを得やすく、効果が認識しやすい。 しかし呼吸を対象とするプラーナヤーマや、心を対象とする瞑想は、誤魔化しがききません。呼吸も心も目に見えず、微細で、とても感じ取りにくいものです。 実習の対象となるものを感じ取ることが出来なければ、実習中に何が起こっているのかも認識できず、実習をする意味もわからず、効果も期待できません。

微細で感取りにくい呼吸や、心を取り扱うには、より〝繊細な感覚〟が必要になります。高度なヨーガの実習になるほど〝繊細さ〟が物を言うのです。 〝繊細な感覚〟をもって、実習をすすめていくと、とても静かで、平穏な境地に達します。そこには、なんとも言えない心地よさ、充足感、至福があります。

少なくとも僕はヨーガでしかその領域を体験し、その感覚を得たことがありません。 

内向性の追求が新たな世界を切り開く

そのようにヨーガで自分の内側に深く入り込む経験をすると、自分の持つ内向性の価値や尊さや美しさを発見できると思います。

そう思うと内向性は、外向性とはまったく違う種類の充足感、心地よさ、至福をつかむ要素だと言えます。 ヨーガによって自分のなかにある静寂や平穏にいたることで、内向性の価値や尊さを実感してもらえたらとても嬉しく思います。

もし自分の内向性を尊重し、肯定し、良さを伸ばしていけたら、また新しい自分が開かれていくかもしれません。 そのようなことを大切にし、僕はヨーガの仕事をしています。
(すなお)

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『続・ヨーガと内向性』
https://tokyo-yogacenter.com/2020/03/13/naikou2/

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