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日常で心を整えよう〜自分でできる伝統的術

こんにちは、ちあきです。
最近、浅草、浅草寺がお気にいりです。御本尊は観音様。今も昔も人気あるお寺です。


昨年、巡礼で(江戸三十三観音巡り)で行ってから、これまでしっていた浅草寺と全然違う景色が見えて、いろいろと浅草寺について知ると、お寺としてとても好きになりました。
(ブログ「東京散歩〜江戸三十三観音めぐり」https://bit.ly/3gsHWvO

浅草寺は、東京の観光名所として有名です。
まず、雷門。そして仲見世。このあたりがあまりにもよく見る景色であり、印象が強いです。私もずっと浅草寺といえばそこの印象でした。通常時は、人はたくさんいて賑わっていますね。
昨年、コロナ禍で信じられないくらい空いていた時期に、久しぶりに浅草寺へ行きました。
まず雷門をくぐり、仲見世。人が少ない。そしてその先に、、、
浅草寺山門が見えました!あ!この景色は!そうです。
通常、お寺の参道の先に門が見えるのです。浅草寺も全く同じ。


私はこれまで、お恥ずかしながら、この位置から全く見えていなかったのです。
・人が多過ぎて見えなかった
・私にその意識がなくて見えていなかった。
後者の理由は、意識次第だと思います。 お寺に行く理由は、様々です。観光、お参り、散歩etcですが、浅草寺の場合、あまりにも、お寺の周辺文化が盛り上がっていて、それも含めて浅草寺の印象になっているようにも思います。浅草は庶民が中心に育てていったという歴史があるようです。江戸幕府の御加護が少なくなってから、相撲、歌舞伎、芝居などが浅草に集まってきて、これらに来た男女が遊ぶ前、遊んだ後に観音様にお参りをする、その方々向けのお土産屋が売られたり、有名な玩具ができたり、江戸名物ができたりしたそうです。
http://asakusa.gr.jp/jp/?p=278(「徳川家と浅草〜浅草槐の会」より引用)


浅草寺の山門は立派な朱色、大きな門。
門をくぐると、仲見世エリアとぐっと雰囲気が変わります。
本堂は、何度も炎上、倒壊にあっているそうですが、御本尊はこれらの災いから免れきており、絶対秘仏となっているそうです。秘仏、、と言われるとますます見たくなったり、どんなものかと、想像がかき立てられます、笑
外陣からのお参りはどなたでもできて、内陣は祈祷や他の正式な行事の時は入れるようです。御本尊は秘仏ですし、厨子に収められており、見ることはできませんが、あの中に観音さまがおられる、、、と思うと、やはり自然と手を合わせたくなります。

お寺にお参りすることは、日本人にとって当たり前になっています。でもそこに向かう意味により、見える世界、感じること、経験は大きく異なるように思います。仏教に関心があまりなくても、手を合わせる、お参りをする習慣は私たちみんな持っています。信仰はない、といってもきっと大半の方がそうされると思います。その場所はとても長い歴史をかけて、守られ、多くの方に信仰されてきたという力の蓄積があると思います。

長い時間、伝統のもとに守られてきた文化は、大事にされるものであり、これからも大切にして行かなければなりません。その場所、そこにいる人、そこで行われていることに最大のリスペクトをもち、足を踏み入れることは、どんな文化圏でも必要かと思います。最近、私が浅草寺に数回行ったとき、外陣で熱心にお参りをするおばさまや巡礼着をまとい熱心にお参りをされる方などの姿が目に入りました。景色としてではなく、少しだけその方々の熱心さを静かに眺めました。

浅草寺、よくよく中を歩いてみると、とてもいいかんじです。
本堂横の広場は、天気の良い日は人々がベンチに座っている景色もまた、和やかに感じます。

今は全てがテクノロジーやサイエンスが主体になっている時代ですが、感じること、想像することが、ますます鈍くなり、自らが磨きに入らないと、見えないものを感知感受することは難しいのではないかなぁ?と思うことがあります。ヨーガのレッスン後、
「感じるって?全然わかりません」と言われること、たまにあります。 答えは1つ。すぐにわかる。目に見える、数値化。
これらは私たちを安心させてくれるものでもありますが、これらの条件に一致しない場合は、私たちを不安にさせます。
白か黒。ありかなしか。良いか良くないか。2択ばかりの世界に窮屈な方もおられると思います。また目で判断することでしか信頼がおけないことも、見えない場合は心配と不安が募ります。


ヨーガはすぐに結果は出ないし、速攻性もないですが(*軽度、状況によっては一時的は別)、感じる力が鍛えられます。自分の些細な変化の感知、なんとなくの直感など、これは不確かではありますが、とっても大事なセンサーです。心が落ち着いているからこそ、微細な変化を感じられるということ、あると思います。
ヨーガ、お寺や神社をお参りをするなどの行為は、自身の感受性を養成していくのに、現代人にめちゃくちゃいいように思います。
心が静まったときにしか、気づけないことがたくさんあるように思います。まず心を静める技術、心が静まる、心が整う場所。ヨーガ、瞑想はまさにその状態になれますし、お参りする行為、お参りの場所は心が整う場所です。


瞑想で、ただ座って静かな雰囲気を味わうのではなく、心が静まることで起こる微細な動きや感覚に気づくことができます。不思議な力や特別な経験を狙うではなく、まず今の自分に何が起きていて、どんなことを感じているか?を客観視できなければ、気付きがなければ、ずっと目隠しして歩いているような手探り状態。心は無意識であちらこちらに散漫で、起こることに反射反応しまくりでは疲れますしストレスも溜まります。
そして一瞬でも瞑想で無心な状態が起こることがあれば、私たちの心は休息し、身体と心の調和がもたらされます。

心を鎮める習慣。これからますます必要になるとおもいます。
人に頼らず、道具もいらない、自分で心を整える術はもっと見直されるといいです。
瞑想とは?心を整えるとは?ヨーガとは?生活の中で日々このような時間をもち、ストレスを解消するだけでなく、そのもう1歩先に進んでいきたいですね!

●浅草寺 https://www.senso-ji.jp/

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